2026年3月〜4月中旬頃まで、改装工事のためお休みさせていただきます。引っ越してから約一年がすぎて、この懐かしいおうちで季節のひと巡りを味わうことができました。きっと何十年も開けられていないであろう扉を開け風を通し、おおきな家具をかたっぱしから移動したり処分したり、おうち自身に意識があるのであれば、さぞかしびっくりさせたことであろうと思います。それにもかかわらずおうちは実に寛容で、まもられながら、過ごした一年でした。同時にこの一年で、世界はまた価値観を変化させ続けています。私は今この変化の時代の中で、古いものの「物としての確かさ」が、あたらしいものの中では、その「良さも悪さも際立つ」ということをひしひしと感じています。けれども、たった今刷新された最先端の価値観でさえも永遠ではないので、その「良さ」も「悪さ」も、今はそう感じられるけれど、また変わるかもしれないし、一周して似た価値観に再び辿り着くこともあります。では、何を選んだら正しいの?得なの?安心なの?という疑念に駆られるのですが、これらのような「二つに一つ的」な価値判断の渦中にいるのは、たいへんくるしいことだなぁと私は感じています。もし、際立つ「良さ」と「悪さ」があるのであれば、なんとそれは実はとてもよいことで、それは付加価値であると言ってもいいと思います。けれども時代の流れははやいので、この付加価値をあえて「認識」して、光をあてておかないと、いろ褪せ、存在していたことも忘れさられてしまうかなと思います。(忘れてもかまわないのですが)、せっかく人間に(自分に)生まれたのであれば、自分の人生のあらゆる全ての場面における「良さ」も「悪さ」も、保持していたいものです。なぜならそれが「現在の私自身」そのものであるからです。そして善悪の判断は一生保留にしておいて、いつわたしの「悪い持ち物」が「世界の宝物」に変容するか、わからないですから、認識の光をあて続けながら、なんとなく楽しみにしていればいいのかなと思っています。かくいう私は断捨離に全く抵抗がなく、すぱすぱとものを捨てられるたちなのですが、今の変化のおおきい時代であるからこそ「遺す」ということについて、非常に考えさせられた一年となり、印象深かったので、こうして記してみました。一方で私はあたらしいものを取り入れることに関してはとても慎重でもあります。一度すっきりものをなくしたおうちでしたが、傷んでいるところがあるのを整えたいのと、ひろいスペースをひとつ作りたいという気持ちがあり、リフォームをすることに決めました。「過去から紡がれ遺されたもの」と「未来に自分がこう在りたいという願望」のはざまで、焦るこころと隅々まで対話を重ねながら、「完璧さ」ではなく「現在の調和」と「自由な気分」を選んで、自分を育んでいこうと思っています。4月以降の活動の目処がわかってきましたら、またこちらでご報告いたします。3月後半あたりから、instagramも再開しようと考えています。 いつもEmptyと大切にかかわってくださる皆さま。心から、ありがとうございます。春以降、またお会いできることをとってもたのしみにしております。音楽療法室Empty圓福 泉